自慢の一振り・備州長船成家

武州岡部藩主安部家伝来
小太刀 備州長船成家 永徳元年八月日(1381年)
拵(外装) 糸巻太刀拵

南北朝後期から室町時代初期(14世紀)にかけて、備前国で活躍した刀工たちに「小反り(こぞり)」と呼ばれる一群があります。
成家もその一人で、長船刀工初代光忠の弟である景秀の子孫と伝えられ、小反り派の中では比較的に年代の上がる刀工です。
本作は刃長60.4cm(一尺九寸九分)反り2.0cm(六十・二厘)で、太刀銘ですが片手打ちに適した長さで、合戦の変化に適ったものです。

作風は板目肌に地景が入り、乱れ映りが立ち、刃文は角五の目に片落ち互の目が交じり、ところどころ尖りごころに乱れるなど、変化に富んでいます。
拵(外装)はきらめくような金梨地の鞘に、安部家の「丸に梶の葉」と「三つ引き」の家紋を金蒔絵で表し、柄頭や責め金具そえに鍔などは、漆黒の赤銅魚子地(しゃくどうななごじ)に、家紋を高彫りにして据えています。


安部家は古くから徳川家の家臣で、天正18年(1590年)以来、武州岡部(現・埼玉県深谷市岡部)に陣屋を構えていました。
禄高は20250石でしたが、歴代摂津守または丹波守を受領し、大阪定番や二条定番などを務めました。
元禄14年(1701年の)赤穂事件では、家督相続者の信峯が浅野内匠頭長短と従兄弟だったので、出仕遠慮の処分になりました。

本作は「備前刀剣王国展」にも出品され、埼玉県に4家きりない大名の家に伝来したもので、とりわけ深谷市にとっては貴重なものです。