◆鑑賞手引◆

鑑賞手引き

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はじめに
博物館に展示されている刀達を見比べても、はじめのうちは皆同じように見えてしまいます。ただ「きれいに光っているな」程度にしか印象に残りません。誰でもはじめはそんなもんです。そこで少しだけ日本刀を鑑賞するための基本的な知識を説明します。多くの場合、刀の解説は専門用語のオンパレードです。専門家は別にして、日本刀を楽しむために多くの専門用語は必要ありません。専門用語を覚えることと鑑賞することは別物です。勉強は後回しにして、まずは日本刀を楽しみましょう。

まずわかりやすく、日本刀は三つの要素で見ます。それは「姿(すがた)」、「地鉄(じがね)」、「刃文(はもん)」です。これが基本で、専門的に見る時でも同じです。
この頁では、初めにこの3要素を説明し、付け足しとして少し研ぎ(研磨法)の説明をします。
画像はクリックで拡大できるので肌目がわかりにくい、もっとよく見たいと言った場合はクリックしてみてください(≧▽≦)

姿について
地鉄について
刃文について
研ぎについて
最後に

「姿」
 姿とは文字通り、刀の格好です。長さ、厚み、幅、肉付き、反り具合、切先(先端部分)の形、などです。これらプロポーションは刀の使用目的によって違いがあり、戦闘形態の変化などもあって、各時代に特徴的な姿があります。もちろん使う人の好みもあったでしょう。袈裟懸けが得意とか、突きが得意とか。たとえば切先の形だけを見ても、長かったり短かったりと、気を付けてみると違いが見えてくると思います。

◎ちょっとだけお勉強
 いつの時代でもいろいろな姿の刀があります。それでも、その時代の流行みたいな姿はあります。そのために、姿を見ただけでもある程度は時代を特定できるのです。それをちょっとだけ書きます。飽くまでも流行であって、全部の刀がそんな姿だったわけではありません。(念のため)

太刀(たち)と打ち刀(うちがたな)

ふつう私たちが長い刀を見て「かたな」と呼んでいますが、実は「たち」と「うちがたな」に分類されます。太刀は刃を下に向けて腰から吊るす刀。打ち刀は刃を上に向けて帯の間に挟んで使うものです。太刀は佩く(はく)、打ち刀は指すと言い現わします。太刀は武将の持ち物で、打ち刀は下級の兵や一般人の持ち物です。単に「かたな」というと、現在では打ち刀を意味することが多いです。
 武将のシンボルであった太刀も室町時代にはだんだん廃れてしまい、江戸時代の武士は、儀式のとき以外はいつも打ち刀を指すようになります。イラストを描くときなど、間違っても刃を下に向けて帯の間に挟まないでください。これは「カリブの海賊」方式で、江戸時代の「侍」ではありません。但し戦国時代などには、稀にそのような打ち刀を指した野武士などもいたようです。「7人の侍」の菊千代のように。

古墳時代~平安時代初期:大和朝廷の太刀は基本的に真っ直ぐです。この姿は、中国・朝鮮と共通のものです。刀に限らずすべての文化は中国をお手本にしていた時代ですから。中国朝鮮からの輸入刀、鋼材を輸入して国内で加工されたもの、純国産のものなどがあります。東日本の蝦夷が使った太刀には反ったものがあります。特に手元で反ります。中国風の太刀より短くて幅広の傾向があります。
平安時代中期~鎌倉時代初期:平安時代になって、太刀に反りが付いてきます。それまでの隋・唐風の真っ直ぐな太刀と蝦夷の反った太刀の融合が起こり、日本風の姿が完成したと言われています。全体の反りは浅めですが、手元近くで反りが深くなる傾向があります。刃の長さは80cmくらいでしょうか。
鎌倉時代中期:太刀の反りは深めで全体に反るものが多いです。切先が短く詰まったものが特徴的です。
南北朝時代:この時代に特徴的なのは切先が長く延びた太刀です。刃の長さ1m以上の長い太刀もこの時代に特徴的に表れます。
室町時代中期:この時代に特徴的なものとして、寸法の短め60cm~70cmくらいの打ち刀があります。この時代になると太刀が廃れて打ち刀が多くなってきます。
室町時代末期~慶長頃:刃の長さ70cmくらいの打ち刀が多いです。切先が長く延びたものもあります。
寛文頃:反りが浅い打ち刀がはやります。特に江戸ではその傾向が強いです。突き技がはやったためともいわれています。
幕末:長い打ち刀や、鎌倉時代の太刀を真似たものなどがあります。

 写真は切先の長さの例です。一応呼び方も書きます。上から
「猪首(いくび)切先」現代、鎌倉時代の短かく詰まった切先の太刀姿を真似たものです。
「中切先(ちゅうきっさき)」鎌倉時代、銘はありませんが備中国(岡山県)「青江(あおえ)」派と思われます。
「中切先」清光、江戸時代、加賀国(石川県)。ご存知「加州清光」。中切先がやや延び心になっています。
「大切先(おおきっさき)」南北朝時代、銘はありませんが大和国(奈良県)「当麻(たいま)」派と思われます。
写真にはありませんが、もっと長く延びた切先の刀もあります。

「地鉄(じがね)」
 江戸時代末期に西洋から近代的な製鉄技術が輸入される以前、日本の製鉄は1000年以上昔から続く「たたら吹き」という技法でした。これは砂鉄を木炭で還元して半溶解状態の鉄の塊を作るやり方で、低温であるがために良質の鋼を得られる反面、十分に溶けていないので、できた鉄は気泡やスラグという滓を含んだ不均一の塊です。この鉄の塊を玉鋼と言います。鍛冶屋はこの玉鋼を、ちょうど餅やうどんを作るみたいに折り返し練って、均一の鋼材を作っていました。(これを「折り返し鍛錬」と言います。)それが明治以前の日本の鍛冶屋です。つまり現代のように溶かされて均一に出来上がった鋼材を仕入れて製品を作るのでなく、玉鋼を自分で折り返し鍛錬して自分なりの鋼材を作るのです。そのため鉄そのものが個性的なのです。
 刀の地鉄も、折り返し鍛錬の結果として層状の鋼になっています。これが丹念に研ぎ上げられると表面に板目や杢目、柾目のように肌模様が現れます。緻密なものもあれば粗雑なものもあります。これらは刀鍛冶の流派などによっても違いますし、刀鍛冶各々によっても違います。この肌模様は、うまくいけば博物館などでも見えると思います。

さらには「鉄の冴え」とか「色」とかの奥深い見どころもありますが、それらは刀剣会などで実際に刀を手に取って見て覚えてください。

◎ちょっとだけお勉強
 特徴的な肌模様だけ書きます。
柾目:元から先までまっすぐに通った肌目です。鎌倉時代の大和国(奈良県)「保昌(ほうしょう)」派が有名です。
綾杉肌(あやすぎはだ):波のようにうねった肌目です。南北朝時代から室町時代にかけての出羽国(山形県)「月山(がっさん)」派が有名です。
板目:一番多くみられる肌模様です。模様の細かいものを「小板目(こいため)」、大きいものを「大板目(おおいため)」などと言います。
杢目(もくめ):木材の杢目のように、クルクルと渦を巻いたような肌です。室町時代の武蔵国八王子(東京都)の「下原(したはら)」派が有名です。

写真は肌模様の例です。上から
「綾杉肌」室町時代。銘はありませんがその肌模様から「月山」派のものであることは明白です。
「大杢目」現代。鎌倉時代末期の越中国(富山県)則重(のりしげ)の太刀を真似たものです。則重は大杢目の肌模様が特徴です。
「小板目」江戸時代、加州清光。江戸時代の刀の多くは緻密な細かい肌のものが多いですが、加州清光の肌は少し荒く感じます。戦国時代の刀の雰囲気を残しています。
「大板目」南北朝時代、当麻。武器として使われていた時代の刀には、肌模様が荒っぽく感じられるものも多いです。この刀もいかにも実用に耐える武器としての刀で、ワイルドな印象です。

「刃文(はもん)」
 すべての鋼鉄製刃物は焼き入れによって硬化し、強く鋭い刃先を作っています。焼き入れとは、鋼を真っ赤に焼いて、水(または油)に投入して急冷することです。この作業によって鋼は硬くなります。(昔、おじさんたちが子供の頃、グダグダして締まりのないやつに暴力的制裁を加えてシャキッとさせることを「焼きを入れる」と言っていました。今では死語ですし、人間に焼きを入れても効果は期待できません。)さて、日本刀は刃先に近い部分のみを焼き入れによって硬くしています。全体を硬くしてしまうと脆くなって折れる危険があるからです。ふつうは粘土を刀に塗って焼き入れします。粘土の厚さを工夫することで硬くする部分の幅をコントロールするのです。この刃先の硬く焼き入れされた部分を「やきば」とか「やいば」とか言います。「焼刃」や「刃」の字を当てます。
現代では「焼刃」のことを「刃文」と呼ぶのが一般的です。これは刃(やいば)の模様という意味です。刃の模様には大きく分けて「直刃(すぐは)」と「乱れ刃(みだれば)」があります。実際には厳密に分けることはできませんが、大雑把に見てということです。ちょっと見、直刃に見えても、よくみると細かく乱れているものも多いです。刃文はやはり流派や刀鍛冶各々によっても違います。
また時代と共に刀を見る人々の眼は「武器として」から「美術品として」に移っていきました。それに伴って、刀鍛冶は刃文をデザインするようになってきます。特に江戸時代になると、多くの名工が独自の刃文模様を開発しました。大雑把に言って、刀が武器であった時代の刃文には自然に乱れたものが多く、刀を美術品としてみるようになった時代にはデザインした刃文が多いです。刃文の模様は様々ありますが、実はあまり刀の優劣には関係ありません。刃文の「冴え」(明るさ)を見ることがより重要です。明るい刃文はよく切れる、暗い刃文はよく切れないと言ってもいいでしょう。いろいろな刃文の模様を見ることは楽しくはありますが、多くの刃文を見比べていくと「冴え」の違いが分かるかもしれません。

写真は刃文の例です。上から
「直刃」清光、江戸時代、加賀国(石川県)。華やかな乱れ刃がはやった時代にも、戦国時代から続く先祖代々の流儀「直刃」を守り通しています。
「乱れ刃その1」現代。「丁子(ちょうじ)」と呼ばれる刃文です。デザインではなく、火と水の反応で自然に現れた刃文です。鎌倉時代の備前国(岡山県)一文字派が有名です。
「乱れ刃その2」大和守吉道、江戸時代、京都。「互の目(ぐのめ)」と呼ばれる刃文です。美術工芸品として、とても上手にデザインされています。
「乱れ刃その3」藤原正行、江戸時代、豊後国(大分県)高田派。これもデザインされた「互の目」刃文ですが、適当な感じです。美しさよりも切れ味で名高い流派です。

「研ぎ」または「研磨」
今現在私たちが見る日本刀は美術品として扱われ、その多くが、より「美しく」見えるようにと「お化粧研ぎ」をされています。博物館などで見るキラキラと青黒く光りを反射している刀はほとんどがお化粧です。華やかな見た目を求めるのはやむを得ない面もありますが、刀の美しさを楽しむためには実は邪魔なのです。
ここに例として一般的なお化粧研ぎの刀と、その見方を紹介します。2枚の写真は同じ刀の同じ部分です。しるしとしてシールを貼ってあります。(これは現代の刀です。)
最初の写真は博物館などで見る時と同じように、正面から撮った写真です。刃先に近い白い部分は「刃文」ではなくお化粧です。刃文に沿って白く波型に研いであるのです。その上は黒く研いで、更にその上の平らな部分は鏡面仕上げに研いであります。色合いのコントラストをつけて刀を魅力的に見せています。

次の写真は同じ部分を斜めから光を当てて撮ったものです。上の写真では波型に見えていた白いお化粧の下に、複雑に乱れた本当の「刃文」が見えると思います。これは「丁子」です。(カメラの腕前が良くないので鮮明ではありませんが。)博物館などでも、自分で見やすい光線を探せば刃文が白く降り積もった雪のように見えるはずです。刃文以外の部分にも単調な黒色ではなく、濃淡様々な景色が見えるかもしれません。博物館で刀を見たら、是非良い光線を見つけて、本当の刃文を楽しんでください。

ちなみに、次の写真は昔ながらの素顔のままの研ぎ方で研いだ刀(江戸時代、無銘)を、正面から撮ったものと良い光線で撮ったものです。刃文はよく冴えているのですが、、、やはりお化粧は必要でしょうかね?


実用の時代には、刀を鑑賞することは、すなわちその品質を知る事でした。当然その時代にお化粧研ぎはありません。武士たるもの、お化粧に騙されてナマクラをつかまされた日には命が危ない。現代のお化粧研ぎでも、切先だけは白っぽいまま、まったく素顔のままの研ぎにすることが掟になっています。
次の写真は、加州清光の切先です。切先がスッピン、その他の部分はお化粧です。

悪ノリついでに。次の写真は、全く刃文がないのに、お化粧研ぎで白く模様を描いた刀です。刃文がないということは、切れないということで、まったくのナマクラです。なんと美しい波型模様でしょう。(備前長船、もちろん偽物です。)

最後に

博物館などで時々目にする、しゃがんだり背伸びしたりして刀を見てる人は、この良い光線を探しているのです。そうなればもう「病膏肓に入る」状態です。刀剣会も昼間から電球をつけて、手にした刀を光にかざしてキョロキョロと刃文を探しているクレイジーなオッサンだらけです。

所持について
 刀はいつでも「武器」ではありますが、現代では「日本刀」は文化財として扱われています。各都道府県の教育委員会に一振り一振りが登録されているのです。そのため、あらゆる武器の所持を禁じられている日本国民でありながら、日本刀は何の許可も無しに所持できるのです。